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小学校6年の時に、
「心の救助隊」 を書いた我が家の息子。

早いもんで、
明日から高校生になる。
高校生になると勿論寮生活になる為、
家を出る。
明日が親元からの巣立ちとなるわけで、
ちょっと寂しい‥‥



心の救助隊

『「チェーンソーをもって、ヘリポートまで 来てくれ。」
一本の電話がかかってきて、
じいちゃんは身じたくをしました。
チェーンソーをもち、
くつにアイゼンをつけて、
救助用のヘルメットをかぶりました。
ぼくのじいちゃんは、
北飛山岳救助隊の隊長でした。
今でも、頼まれると、
遭難者の救助の応援にかけつけます。
まだ、雪が氷となって厚く残る冬山では、
チェーンソーが欠かせません。
その氷を切って、
スコップでどけながら、
遭難者をさがすのだそうです。
残念なことに、
この日の救助は間にあわず、
遭難したかたは亡くなっていたそうです。
「あそこは、よく雪崩がおきる所やで、あんな所へ行ったんでは、
雪崩に巻きこまれる。
なんであんな所へ行ったんだ。」 と、
じいちゃんは、ひとり言をくり返していました。
生命のあるうちに助けたかったんだ と思います。
そのくやしい気持ちが伝わってきて、
つらい気持ちになりました。
冬山で遭難した場合、
ヘリコプターは視界がとざされ、
危険なため使えません。
だから、冬山での救助は、
歩いて探すほかありません。
その人の通ったと思われるルートをたどって、
吹雪の中を30人もの救助隊が、
歩き回って探すのです。
ぼくには、自分が危険をおかしてまで、
人を助けに行こうとする気持ちが、
正直言って分かりません。
家族が遭難しているのならともかく、
そこにいるのは、まったく見ず知ら ずの人なのですから。
じいちゃんに、
「なんでそこまでして助けるの。」
と聞いたら、
「地元の山に登りに来た人が遭難したら、
地元の救助隊ですぐにかけつける、
それが地元のほこり。
知らん顔はしておれん。」
と言いながら、
一枚のメモを見せてくれました。 『月曜から遭難して、今日は水曜。
お母さん、ごめんなさい・・・。
助かるようがんばるけど、
雨と寒さがとてもつらい。
今日は元気だけど、この先わからない・・。
もしもの時は、お母さん、今までありがとう。
あなたの息子でよかった。』
だから・・だから一刻でも早く、
救助に向かわなければならないと、
じいちゃんは言いました。
このメモを残した方は、
遭難から9日目に北アルプス外ヶ谷で発見されましたが、
すでに亡くなっていました。
その方のポケットに入っていたメモにそう書かれていたのです。
冬山の遭難は一刻を争う、
一人でも多く助けられたらこんなにうれしい事はない、
そう語るじいちゃんはいつもと少しちがって、
隊長の顔になっていました。
救助隊が生命がけでも、
救える生命は本当に少しで、
救助が間にあわず、
冷たくなった体を背おって、
じいちゃんは何度も山から、
下りてきたそうです。
じいちゃんの助けようとした生命は、
重たかっただろうなぁ。
今、日本では、
信じられないような事件が毎日のように起きています。
家族や、何の罪のない人の生命を、
意味もなくうばうなんて、
あまりにも人の生命が軽すぎます。
都会で 、人がたくさんいるのに、
まるで迷子になって遭難しているように感じます。
心の遭難のようです。
山には山の救助隊があるように
心にも救助隊が必要なのかもしれません。
山の救助隊は専門家しかなれませんが、
心の救助隊は、
いつでも、だれでも、どこでもなれると思います。
ぼく達の通う栃尾小学校では、
『心をつなぐ』を合い言葉に、
相手の目を見て話を聞くこと、
人につながって話すことを大切にしています。
また学級では、
一日に一回はだれもに話しかけるようにしています。
ぼくも学級長として、
進んで声をかけています。
女子には少し照れくさかったけど、
一日にひと声をかけることを続けていたら、
楽に話せるようになってきました。
ただそれだけのことで、
心はつながっていくようです。
全校93人の小さな学校ですが、
だからこそこのことをずっと続けて、
きずなを深めていきたいです。
そうすれば、
心の遭難者はうまれないはずです。
ぼくも大人になったら、
じいちゃんのように、
救助隊に入りたいと思うけど、
心の救助隊でもありたいと思います。
みなさん、心がつかれてきたら、
北アルプスに来てください。
西穂高に焼岳、てっぺんまで登って、
風にふかれた時の気持ちは、
言葉にできないくらい最高です。
自然が大きすぎて、
自分も人もアリんこのようにとてもちっぽけに思えます。
でも精一杯生きているって実感できる場所です。
ぜひ来てください。』



この時の純粋な気持ちを何時まで忘れずに、
頑張れ息子!